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札幌高等裁判所 昭和37年(う)102号 判決

控訴人 被告人 辛永黙

検察官 平井太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

当審における訴訟費用中証人長尾健一及び同市毛富蔵に各支給した分は被告人の負担とする。

本件起訴状記載の公訴事実中第二の事実(警察官に対し交通事故の報告をしなかつたとの点)につき、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣旨は、弁護人小関虎之助提出の控訴趣意書及び同渡辺敏郎提出の控訴趣意書(但し、一枚目裏七行目から一〇行目までを除く。)のとおりであるから、これをここに引用する。

渡辺弁護人の控訴趣意中憲法違反を主張する点について。

所論は、道路交通法第七二条第一項後段の規定は業務上過失致死等の犯罪について有罪とする事実を直ちに警察官に報告する義務を負わせているが、これは自己の犯罪につき不利益な供述を強要するものであるから、憲法第三八条第一項に違反し無効であると主張するものである。

しかし、道路交通法第七二条第一項後段の規定は憲法に違反するものとは解せられない。このことは、旧道路交通取締法施行令第六七条第二項に関し最高裁判所昭和三七年五月二日大法廷判決の説示するところによつて明らかというべきである。(道路交通法第七二条第一項後段は交通事故の場合の報告義務の内容として、「当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度並びに当該交通事故について講じた措置」をあげているところ、右判例によれば、旧道路交通取締法施行令にいう「事故の内容」も、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並びに物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すというのであるから、同判例の趣旨は現道路交通法第七二条第一項後段の解釈にそのまま妥当するものといわなければならない。)論旨は理由がない。

しかしながら、原判決が認定した被告人の右道路交通法第七二条第一項後段違反の事実(原判示第二の事実)につき職権をもつて調査すると、原審において取り調べた成田きん及び同毅質の検察官に対する各供述調書、成田毅質の司法巡査に対する供述調書、被告人の司法警察員(昭和三六年八月一五日付)及び検察官(同月二五日付)に対する各供述調書並びに当審において取り調べた証人成田きんの公判廷の供述によれば、被告人は、原判示第一の事故後直ちに事故現場近くの成田きん方に電話を借りに来て、同人に救急車の手配を依頼し、一たん事故現場に戻つたが再び同人方に来て、「警察に電話をかけて下さい。」といい、同人が「ご自分でかけなさい。」というと、被告人は「頭がおかしくなつているから、かけて下さい。」と重ねて懇請したので、成田きんの長男が一一〇番に交通事故があつた旨を通報したことが認められる(なお、その後も被告人は成田きんに「早く警察を呼んで下さい。」と頼んでいる)。してみれば、被告人は、本件事故発生後直ちに警察官に対し、他人を介し、電話によつてではあるが(本報告義務履行の方法は、運転者みずから警察署等に出頭して行なう必要はなく、他人を介し又は電話によつても差支えないと解される。)、少なくとも右第七二条第一項後段所定の事項中事故発生の日時及び場所については報告をしたと見て妨げない。したがつて、この点に関する限り被告人に義務違反はないというべきである。ただ、報告がその余の事項、すなわち死傷者の数、負傷の程度、講じた措置等にまで及んだかどうかは定かではなく、おそらくこの点については履行されていないものと推認される。しかし、元来法が交通事故の場合の報告義務を課しているのは、警察官をして速かに事故発生を知らしめる点に最大の眼目があり、それによつて警察官が被害者の救護、交通秩序の回復等につき適切な措置をとりうるようにしようとするものと考えられるから(前掲最高裁判所判決参照)、本件において緊急の間に他人を介して行なわれた前記の程度の報告によつても法の要請の基本的な点にはこたえているということができ、しかも、前示のような当時の被告人の行動に照らしてみるとき、報告に及ばなかつた事項についても被告人においてことさらこれだけを秘匿しようとする意思があつて報告しなかつたものとは思われない。なお、被告人は救急車が到着し被害者らを収容した直後現場を立ち去つているが、この点につき被告人は、「警察と病院に電話してくれとたのんだので、あとは自分で死んで仕舞うつもりで自分の車に乗つたのです。」(前掲八月一五日付司法警察員に対する供述調書)と供述しているのであつて、それは被告人が自己の罪責をのがれるため逃走したというよりも、大事をひきおこしたことによる興奮、驚駭等の心理的混乱の下に思いなやみ、一応救急車や警察への連絡も頼んだので、あとは死によつてその責任をとろうとの考えに出たものと見ることができるのである。このように、被告人は報告すべきこととされている事項のうち、交通事故発生の日時、場所等の基本的事項については報告を了し、かつ、その余の事項についてもこれを秘匿しようとする格段の意図があつたともうかがえない以上、死傷者の数、負傷の程度、講じた措置等の点につき報告をしなかつたことが故意に基づくものとすることはできない。結局、被告人には前記法条の報告義務違反は成立しないというべきである。もつとも、被告人が前示のように事故現場を立ち去つたために、警察官が同所に赴いたとき(そのときにはすでに救護の措置はとり終つていた。)には、その氏名も運転した車もついに確認できなかつたという事実がある。そして、被告人自身も検察官に対し、「事故を起したならば自分の名前や車体番号、事故を起した場所等を警察に知らせなければならないと言う事は知つております。之をしなかつたのは悪かつたと思つています。」(前掲八月二五日付供述調書)と陳弁している。しかし、事故を惹起した運転者の氏名、免許証や車体の番号等は右法条の報告内容とされておらず、又前記報告を受けた警察官において、たとえば成田の家人を通じ被告人に対し現場を去つてはならない旨を命じた事跡はうかがえないので、被告人が現場を立ち去り、ために警察官において被告人の氏名や車の確認ができなかつたとしても、そのことをもつて被告人に違反のかどがあるとすることはできない。要するに、原判示第二の事実については犯罪の証明がないことに帰するといわなければならない。したがつて、原判決はこの点において事実を誤認し、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかな場合にあたるというべきところ、原判決はこの事実と判示第一の業務上過失致死傷の事実とを併合罪にあたるものとして一個の刑をもつて処断しているので、その全部の破棄を免がれない。

よつて、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条により原判決を破棄した上、同法第四〇〇条但書にしたがい、次のとおり自判する。

(自判の内容)

原判決が適法に認定したその判示第一の事実(業務上過失致死傷)に法律を適用すると、被告人の所為は刑法第二一一条前段、罰金等の臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、これらは一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により最も重いと認める市毛良子に対する罪の刑にしたがい処断すべきである。しかるに、本件記録並びに原審及び当審において取り調べた証拠に基づき被告人の情状を案ずるに、本件犯罪事実は、要するに、被告人は乗用自動車を時速四〇キロないし五〇キロで運転中、他のことに気をとられ、しばらく前方注視義務を怠つたため緩行車道に乗り入れ、至近距離に至つてはじめて被害者らを発見し、ついにこれと衝突して二名を死亡させ一名に重傷を与えたというものである。したがつて、その過失の態様及び結果はすこぶる重大であるといわなければならない。しかし他面、本事故の発生には被告人及び被害者らのとつた各避譲方向の不幸な一致があつたと見られるのみならず、被告人は前説示のように事故後直ちに成田方の家人に救急車の手配及び警察への急報を依頼していることは当然のこととしても、その後自殺をはかるほどまでに責任を痛感していたこと、逮捕された後は被害者側に対し、妻をして又は友人の協力によつて物心両面からできる限りの慰藉の方法を自発的に講じていること(死亡慰藉金として各一二五万円、傷害慰藉金として五〇万円を提供し、かつ葬儀代、治療代の一切を負担した。その総計は約三五〇万円と認められる。)、かようにして被告人には反省の情顕著なものがあるというべく、されば又被害者側も感じ入つて寛大な処分を望むに至つていること等の事情がうかがわれる。もとより、当裁判所としては本件結果の重大性、この種事犯に対する社会感情を軽視するものでは決してないのであるが、事故後において被害者側に対してとつた被告人の措置は、できる限りの誠意を尽しているものであることを認めないわけにはゆかない。その他諸般の事情を総合し、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を禁錮一年に処するが、とくに刑法第二五条第一項を適用して本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予すべきものとする。

なお、本件起訴状記載の公訴事実中第二の要旨は、「被告人は、昭和三六年八月一三日午後一〇時半頃札幌市南六条西一一丁目先二級国道(通称石山通り)において交通事故を起したのであるから、直ちにもよりの警察署の警察官に対し事故発生の日時、場所、事故による死傷者の数及び負傷の程度等法令に定める事項を報告しなければならないのに、この報告をしないで事故現場を去つた。」というものであるが、この点については犯罪の証明がないこと前説示のとおりであるから、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条に則り無罪の言渡をなすべきものとする。

当審における訴訟費用については同法第一八条第一項本文により主文第四項掲記の如く定める。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 萩原太郎)

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